選択"枝"を切る

人間を一つの樹に例えてみる。

 

 

樹を大きくしようと思えば、幹を太くするか、たくさん枝を出してそれを伸ばしていくしかない。

幹は年輪を重ね、年々太くなるはず。

年と関係なく伸ばせるのは枝である。

そして、その枝は自分の"能力"である。

枝の数だけ可能性があるということ。

その枝が多ければ多いほど、大きければ大きいほど、できることは増える。

 

 

では、むやみやたらと新芽を出し、それを伸ばしていけばよいのか。

 

 

というと、そうでもない。

それぞれの枝を伸ばすためにはそれぞれに時間も養分も要る。

伸ばしたい枝を伸ばすのがいい。

他は切り落とす方がいい。

 

 

実際の林業でも枝打ちといって、剪定を行い、いらない枝を落とす。

余計な枝を伸ばさないようにする。

そうすることで、樹がある程度思うように成長する。

要は選択と集中である。

 

 

この例えは大学時代の指導教官に言われたことである。

「研究者になりたいなら、他のことは我慢するなり諦めて、研究をしなさい。」

結局その覚悟もなかった僕は研究の道を諦めたのだけど。

 

でも言われたことは間違いではなく、なにかをやろうと思えばなにかを犠牲にしないといけない。

犠牲にしないといけないのが他のやりたいことなのか、他人との付き合いなのか、それは人それぞれ。

それを見極めて、いま自分がやらないといけないことをやる。

選択肢を選ぶ、というよりも、他の選択肢を切る。

 

 

 

子供が産まれ、仕事もそれなりの大変になってきた。

今の僕が諦めていることは、自転車に乗ること。

 

これまでそれなりにレースに出たり練習もしてきたけど、今、最優先でやることではなくなった。

むしろ優先度で言えばかなり下だ。

自転車で速くなることは諦めた。

 

これからロードレースシーズンとなるが、どれだけレースに出るかはまだ未定である。

全く出ない可能性もある。

そこはこれから考えようと思う。

 

とにかく今は自転車を頑張る時ではない。

もう少し落ち着いたらまたやろうかな。